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随心学


 1980年代に入りアメリカの経常収支赤字、日独両国の黒字という不均衡が顕在化した。1985年9月、先進5か国大蔵大臣?中央銀行総裁会議(G5)が開かれ、ドル高の是正が必要であるとするプラザ合意が成立した。この声明と、それに続いて行われた主として日本?アメリカ?西ドイツ(当時)三国の通貨当局による協調介入は顕著な成功をおさめ、声明当時1ドル240円台であった円相場は以後趨勢的に上昇し、87年2月には140円台に到達するなど、ドル安?円高が急速に進みんだ。しかし、これ以上のドル下落は好ましくないと判断された